QOLをあげてゆけ
今日はすごく良い日でした。
今日やったことは掃除、ゲーム、一瞬勉強、明日の朝食準備。
特に掃除の満足感がすごい。
布団たたんで、床に散らかしたものを片付けただけなんだけど、床が見えることの気持ちよさがあることを知った。
本当に気分が良いものだから、QOLについて調べてみたら「整理整頓」が
QOL上昇方法の一つとして記載されていた。
そうだよね、安息の地はきれいにしときたいよね。
掃除はやっぱ一気にやるんじゃなくて、こまめにやるのが楽だし継続につながるから
今週は朝時間作って掃除するのを目標にしよう。
時間作るためにうだうだ行動もしなくなるだろうから一石二鳥。
ということで朝素早く動くため今日は0時に寝ます。
おやすみなさいー
今月思ったこと
社会人になって二月が経とうとしている。
その中で思ったことを文字でアウトプットしてみる。
1.コミュニケーションは難しい
2.話は苦手だが話したい人もいる
3.相手に興味を持つことが大事
4.自分を貫くことも大事
1.コミュニケーションは難しい
これはもうずっと思っていること。中学のころから人と話すのが苦手になってきて、
社会人になってもずるずる引きずっている。社会人になると自分の関わりたい人以外ともかかわる必要が出てくるからそこが非常に辛いところである。
特に無理なのが冗談を言い合うような会話。必死に正解を探そうとしてその挙句何もでてこなかったりする。だから飲み会いきたくないー。でも仲良くなりたいー。
2.話は苦手だが話したい人もいる
これは自分でもびっくり。基本的に会話のキャッチボールができないつちやは会話が嫌なのだが話したい人がいる。何を話したいのかはわからないけど会話をしたいしその人のことをもっと知りたいと思っている。こう思ったきっかけはたぶんその人の内面を知ったときにギャップと共感を感じたから。それ以来ことあるごとに今この瞬間その人はどう思っているのか、とかこう思ったんだろうなとか気になるようになった。
3.相手に興味を持つことが大事
つまりは相手の内面に興味を持つこと、相手を知りたいと思うことが大事なんだろう。今まで「相手に興味を持つ」という話を聞いたとき、その人が何をしてきたかとか、何が好きか、とか外面的な部分を知る必要があるのだと思っていた。もちろんそれもすごく大切で、それが会話の切り口になることは多いと思う。けど、自分のような今まで人に興味がなかった人が外側だけを知ってもそれで終わってしまう。外側をつつくだけで寄ることができない気がする。大事なのはその人の中身を知ろうとすることだと考えた。情報を受け入れるだけでその人を知ろうとするのではなく、情報からその人を想像することが大切なのかなと思った。それが当たっていようと外れていようと、またそこに面白さを感じて興味を持てるようになるのではなかろうか。
4.自分を貫くことも大事
先日会話をしていて感じたのは相手はこっちの発言から自分の像を作り上げているということ。こっちが深く考えずに発言したものからも相手はこっちを読みとろうとしてくる。こっちが一貫してないと当たり前だけど中身すっからかんと思われるだろう。すっからかんだけど。大事なのは自分が思っている以上に向こうはこっちの言葉を捉えているということ。あんまし適当なことは言わないほうがいいな。
自分は人に興味がなかったからそういう意識がなかったけど、一般人型は人を知ろうとしているんだろうな。
自分がps4のゲームが好きってことがちゃんと伝わると向こうも結構話してくれるようになったのは嬉しかった。こういう一貫した発信大事ですな。
以上のことを踏まえて自分を作りつつ、相手の話とその考察で相手の像を作り上げることを意識すれば自然と興味をもって楽しくお話しできるのかなー。明日からより意識してみよう。
ラブライブを取り囲む空気が苦手
今日、普段あまり関わらない人たちと、ラブライブスクールアイドルコレクション、通称スクコレのイベントに参加してきた。イベントといっても定期的に店で行われているプチ大会のようなもので、もともとプレイヤーが少ないこともあり集まった8人ほどは全員常連らしかった。
自分はゴリゴリの初心者だけどデッキを借りて参加。借りたデッキが扱いの難しい構築になっており、1プレイにとても時間がかかってしまった。しかしみなさんがた非常に優しく、焦らすことなくゆったりと待ってくださり、またこのゲーム自体相手に干渉する要素がほぼないことから、自分の手札を常にオープンにしたうえでプレイの指南までしていただいた。ありがたや。
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さて本題。
ライバーの友達、知り合い、Twitterでフォローしている人たちを見て思うことがある。
それは自分と明らかに熱量が違うということ。ライブで熱気高まる中素敵なパフォーマンスをするAqours。それを見て歓喜をあげたり叫んだり、ブレードぶんぶんしたりときには泣いたり。そんな様子や心情を映像や会話、Twitterで見てきた。それらに対して自分はいつも違和感を感じてしまう。
あるライバーな友達がいる。そいつはすごく感情の揺れが激しく、好きな曲が掛かれば狂ったように叫び、踊り、昂ぶりすぎて泣いたりもする。そのパワーはほんとにすごいと思うのだけど、それに対して内心結構引いてしまっている。単に引く分には問題ないのだけれど、その狂気の元となっている対象は自分も好きなAqours。あいつはそんなになるほど、人目を気にしなくなるほどAqoursが好きなのに自分はそんなことはない。そしてそいつの周りにはライバー仲間が結構いる。つまり受け入れられているのだ。
うまく言えないけど、その激しい喜びをする人たちがファンとして正しくて、自分のファンとしての在り方がすごく異質な感じがしてしまうのだ。彼らは実際すごくアニメんシーンに対して考察したり、心情に共感したりしているが、自分はそこまで深入りはしていない。彼らは声優の生放送があればかかさず見るけど自分はそうでもない。そしてライブの時、会場の全員がブレードを振り、クジャクのような過剰なことをする奴もいて、コールを全力で叫ぶ。自分にはそれらがないのだ。
あの場において声優が崇拝されているようなあの空気感。声優の皆さんもそれを喜んでいて、みんなと一つになるということに努めている。
自分はAqoursが好きだ。けれどAqoursとライバーの空気に馴染めない。一歩退いたところから見てしまう感じ。取り残されてしまっている感じ。ラブライブというコンテンツの空気、空間がとても苦痛なのだ。
だから、来週のライブが楽しみである一方、不安である。数万人とAqoursが作るあの空気に馴染めるかが。
言葉の整理
"義務"
義務とか義務感とかいう言葉はひも解くとどんな意味なのだ・・・と研究の過程で思うところがあってちょっと考えたので忘れないように書いてみる。書きながら考えてみる。
自分は
"義務"は誰かが誰かの意思に関係なく課す、やらなけらばならないこと。
と考えた。ちなみにWikiにはこう書いてある。
義務(ぎむ)とは、従うべきとされることを意味する。義務の根拠としては、理性、道徳・倫理、宗教、法制度(法令・契約など)、慣習などが挙げられる。義務に反した場合には、制裁があるとされる。制裁には、内面的・物理的・社会的なものがある。
そうか、義務にはちゃんと理由があるんだよね。いろんな観点から作られてて、世の中をうまく回すためにあるって考えればいいのかな。
あ、宗教的な義務はどうだろう。なんちゃらは神の遣いだから、とかは特別なジャンルかな…ぱっと考えただけではうまくひとくくりにできないや。
ところでその義務というのを自分は最初自分では作れないものだと思ったのですね、
なぜなら自分の考えた定義での"義務"は誰かが誰かに作ったものだから。そこに当事者の意思は関係ないから。
自分で義務を作るならその義務を作った理由が必要になる。でもその理由を自分が考えた時点でそれは自分の意思じゃん?それ義務じゃないじゃんただの意思じゃん。
ところがどっこい。俺はこれから勉強をしなければならない、とか食事制限しなければならない、とか。これってちゃんと義務を課してる感じがしない?
あれ、、、これ自分が自分にかしてるじゃん。最初の定義違うかな、と思ったけどちょっと待った!
こうとも考えられはしないか?
今の自分と先の自分は別人だって。
今この瞬間の意思なんてものは続かない、新しく始めたことなんて三日と続かないし唐突に思いついたことなんて一晩で忘れる。
だから決まった考えを持ってることはないから自分で自分に義務をかせるのではなかろうかーーー。
つまり「誰かから誰か」はいらなくて。
"義務"とは、なにかしらの観点による理由から課せられるやらなければならないこと。
かな。課すのは人ではなくその理由。
正しくはないのだろうけどとりあえず"今日"の自分はこれで納得。明日の自分は違うかも。なにせ別人なのだから(天声人語チックな終わり方ドヤ)
研究
研究がつまっている。理由は壁にぶち当たっているからではなく、どうしたらいいか分からないからである。
ある人たちに自分の作ったゲームの評価をしてもらう。単に面白かった、つまらなかったではなく、そのゲームの〇〇なところが~~だったといったようにゲームの持つ要素をみてもらう。そこからその人たちがどういった要素に魅かれるかを調べるのだ。その人たちが魅かれる要素を調べるにあたり、当然このゲームだけでは知ることはできない。そこで、ほかにも既製品のゲームを用意しそちらのゲームに関しても評価してもらう。それぞれの評価に対して、共通点やその逆を見つけ、その人たちがより魅かれるものを組み込んだものを開発していくのだ。(これは僕の次の人が)
と、それらしく見える(かな?)ように書いてはみものの、ここからどうするかが問題なのである。
これらを分析するにあたり用いる手法が「因子分析」というそうで、これを使ってみようと教授にアドバイスいただいた。調べてもなかなかわかりやすい説明が出ていなく、自分の理解力に辟易しながらも辿りついたブログを読んだところ、少しだけわかった。
-------この理解度で「少しわかった」は違うわ。「正しいかどうか分からないけど自分はこう解釈した」ですはい。そしてきっと間違っている。
どうやら因子分析というのは何かの評価に対して、無数にでてくる項目の共通点を探してまとめてしまおうというもののようだ。これによりいわゆる次元が下がる。何が大切なのかわかりやすくなるしハッピーハッピー。
うん…。
つまり、これから自分がやるべきことは、複数のゲームの持つ要素を評価してもらうことにより、被験者の魅かれる要素を分析。その要素を今後組み込むなり検討するなりする。ゴールは今回自分が作ったモノでの最高点をめざす。
単純な関心の調査のみならば自分がゲームを作った理由がない。自分のゲームはこの研究の主題をクリアするためのツールの一案として作ったものだ。
過去記事やべえ、今もやべえ
こんにちは世の中。
このブログ知り合いに見られてない前提で書いてるけど一人だけこのブログの存在を知ってる幼馴染君がいるからもし更新通知とかしてるなら気付くかも。やっほーYさん。
自分に考えが蓄積するとブログとか書きたくなるなと思いながらこのブログを久しぶりに開いてみたら、そこには俺から出た言葉なんか!?っていうポエマーなつちやがいました(過去記事参照)
読み返してみるとおそらく意識的にそれっぽく書こうとしてるのが見えて片腹痛い。
でも当時考えてたことは思い出した。あぁあのときしんどかったわ!
ただ、自分は今も似たようなことで悩んでいるので、ほとんど成長していないのだと落胆してしまった。性格を治そうというのは本当に難しいと思う。この性格、小学校の時からの積み重ねでこうなっているのだぞ?多分サッカーを頑張ってうまくなったり、パソコンなんていじってないで外で遊んだりしていないと性格変わらないのではなかろうか。諦めたいわけではないけど、また意思の弱さのせいだと糾弾されるかもしれないけどそう思いたくなるくらいに難しい。
四年前の高校時代、ヒエラルキー的に絶対かかわることのなかった人たちと大学卒業したから同僚だねさぁたくさんおしゃべりして一緒に仕事しようとなっても会話ができるだろうか?いやできない。話そうとすればするほど他人行儀な自分になる。そしてその話し方というのが自分の嫌いな話し方になっている。今の自分が他人だとして自分と関わることになったら嫌だなと思うほどには。具体的に言うとなんとか周りに合わせようとして変に喋った挙句空回りする。(高校時代のM君かな?)
気をつけようとしても本能的?にかかわったことのないタイプの男と話そうとしてもうまくいかない。こっちも向こうも気を使ってもうわけわかんない空気になる。ちなみにかかわったことのないタイプはオタク、根暗、社交とかそういうの気にしないアナログ陽キャラ(いい方的にこうなるけど心の底から褒めてる)タイプ。守備範囲の狭さがうかがえる。
いちばん嫌なのは自分の性格を受け入れられなくて必死になってる結果自分を完全に見失っている自分なのでした。
定期的に似たこと書いてていやなので次は読書感想文でも書きたいところ。
10/20
女友達の恋話を聞きながらの帰宅、その子を降ろしてから一人黙って運転する夜道、偶然流れるドビュッシーの月光。なんだか切なくなってくる。
こんな思いをしたらtwitterでつぶやきたくもなる。でもtwitterでは自分の発言が様々な人に見られるわけで。
代表になってから後ろ向きなツイートはなんかかっこ悪いと思うので控えるようにしている。こう思われたくないっていうのももちろんあるけど、そんな他者評価を気にするというよりかは前代表みたくありたい。って思いが強いかな。いや両方か?
自己顕示欲だとか承認欲求だとか人間の不変な感情も行き過ぎれば目障りなわけで、それが目に余れば揶揄されてしまう。
弱音はすぐ吐きたくなるけどそれはさっきの理由から呟きたくはないし、悩みを暗示させるものなんてのは顕示欲だのかまってちゃんだの言われる始末。でもそんなことを気楽に相談できる友達はいない。単純にかっこ悪いとこを見せたくない人もいるし、そんなこと興味ないと聞き流す奴もいる。
じゃあどうすればいいんだろう、と考えたときに出てきた。
そうだ日記を書こう、と。
形は何でもいいから思いを吐き出す場所を作るのは大切だと思う。
この前本で読んだけど思考の整理にもなるし。
形はあえてあまり整えない。誰に見せるわけでもないし大変だからね。
でもいずれ意識せずとも整えられるようになりたいな。思考の一貫性が欲しい。